2011年7月24日日曜日

北京の梅雨

先週から、曇りがちのどんよりとした天気、霧と夕立のような雷雨が毎日のように続いている。中国語学校に行って、日本に在住経験のある先生と天気の話をしていると、北京は梅雨の時期だと言う。

ちなみに北京の気候は、 Wikipediaによると亜寒帯冬季少雨気候というのだそう。

・夏は比較的高温で、冬はごく寒冷の大陸性気候。
・冬季には-30℃から-40℃以下になる地域もあり、北半球の寒極(地球上で最も低温な地点)が存在するなど気温の年較差が非常に大きい。
・夏は降水量があるが、冬は降水量(積雪)がきわめて少ない。

一方、東京は、温暖湿潤気候というのだそう。

・気温の年較差が大きく夏に高温・多雨となる。
・四季の変化が特に明瞭。
・夏季の高温・多雨により稲の生育に適することからアジアでは稲作が盛ん。

湿度の殆ど無い、乾燥した北京で、梅雨という話は初めて聞いたし、先週から雨がちで湿度が高くなっているので、確かに雨の少ない北京においては、梅雨と言えるのかな、なんて半信半疑で「北京の梅雨」の話を聞いていた。

気になったので、帰宅して、「北京 梅雨」でネットで検索してみると、日本でのヒットは無く、逆に中国語で「梅雨」の新聞記事のヒットがあった。


(记者张淼淼)京城自14日入伏开始就雷雨不断。北京气象部门最新预报显示,从17日起到下周四,京城天天雷雨相伴,如同进入短暂“梅雨季”。

この記事によると、17日から28日まで北京は雷雨を伴う「梅雨季」に入ると北京気象部門が予報したと記載がある。語源を調べると梅雨は、中国から輸入された言葉らしい。

「カビ」の多い季節ということながら、語感が悪いということで、これと発音が同じ「梅」に表記を切り替えたという説があるようだ。

確かに昨日の天気予報に、カビ指数が最高になっているので食べ物に注意するようにとの記述があった。

また、中央電子台の生活提示では、雷雨が多いので、落雷に注意するようにとのメッセージが流れていた。落雷というと、昨日発生した新幹線事故の原因も落雷だったのではないかとの憶測もあるように、中国市民の生活に多大なる影響を与えているようだ。

2011年7月17日日曜日

06/25

この日に収録されているお勧めアルバムは、以下3枚。

- Waltz for Debby, Bill Evans (NYC, 1961)
- Sunday at the Village Vanguard, BIll Evans (NYC, 1961)
- Full House, Wes Montgomery (CA, 1962)

Bill Evansの2枚は、ピアノトリオジャズの名盤で、普段からの愛聴盤であるが、先日、丁度録音から50年の節目を迎えたこともあって、いい音で聴きたいと、行きつけのジャズバーに行き、リクエストしてかけてもらった。

流石によいオーディオ機材だと、我が家では再現できない音と臨場感があり、何度聴いても、何かしらの発見がある、飽きのこない素晴らしいアルバムであると再認識した。

Walts for Debbyは、曲もさながら、なんといってもドラムのPaul Motianのシンバルとブラシワークの美しさが秀逸で、共演者が刺激的でないと性急になりがちなBill Evansもこのアルバムでは、共演者の音に耳を傾けて落ち着いた演奏をしているのが、これが名盤になった由縁ではないかと思う。ジャズクラブの最高峰、Village Vanguardでの録音ということで、初夏6月の緑が萌えてウキウキするManhattanの高揚感が、観客等の雰囲気を通して何となく伝わってくる。これもトリオの演奏にも影響を及ぼしているのではないだろうか。

ちなみに、このトリオで唯一存命中のPaul Motianは、テナーのJoe LovanoとギターのBIll Friselの変則トリオを同クラブで観たことがあるが、リズムを刻むというよりも、空間を埋めるようなスタイルに変わっていたようだ。

これと、同日録音でベーシストのScotto LafaloをフィーチャーしたSunday at the VIllage Vanguardを立て続けに聴いて、オーナーに「今日で50周年なんですよね」と話しかけると、オーナーもご存知で、「そういえば、もう一枚あるんですよ」と言われて紹介されたのが、これまた愛聴盤のWes MontgomeryによるFull Houseだった。このアルバムは、先の2枚の一年後にCaliforniaで収録されている。黒人メンバーで構成されたせいか、グルーブ感と熱気がすさまじく、夏真っ盛りの汗が滴り落ちるような雰囲気を思い起こさせる、個人的には8月をイメージさせるアルバムだったのだが、実は、6月だと知って驚いた。この日のBerkeleyは、暑かったのだろうか。
 

2011年4月17日日曜日

早いもので

4月は、学校は新学期を迎えたり、多くの日本企業にとっては新たな決算期ということで、新たな旅立ちを迎える時期だ。

自分の境遇はというと、昨年6月に赴任して10月にサービスを立ち上げ、オペレーションもある程度落ち着いて形になりつつあるステージに到達したところだ。

そんなタイミングで先発隊は、御役御免ということで、早くも第一陣が帰国の途に就くことになった。

超短期間且つ異文化環境において、会社の設立、サービスの設計から開発とオペレーションの組み上げという荒業を並行して、不眠不休で実現した恐るべき戦友達も、ようやくここで一息入れることが出来る状況になったということだろう。海外経験が殆ど無いにも拘らず、プロフェッショナリズムの魂で、中国人社員達と会社の土台を築き上げた先発隊には本当に頭が下がる。

当方はというと、もう少し北京に残ることになりそうだ。

北京も、冬で晴れといえども身の危険を感じるほどの冷たく眩しい日差しとマイナスの寒さが、春節を明けてから一気に和らぎ、気温が上昇し始めた。

街の所々でピンクや黄色の花が咲き、春の風物詩という柳の綿がタンポポの綿のように空を舞っている。

新たな旅立ちを迎えるこの時期に、中国語学校に通うことにした。

2011年4月11日月曜日

We are still open

北京のビジネス街中心地にある一流ホテルが、改修に入って、その入り口をも閉じてしまったが、依然として営業は続けている。その入り口に書いてあったのが、"We are still open"。

「こんな状態だけれども、営業してます」みたいな恐縮したニュアンスで、妻と二人で思わず噴出してしまった。アジア的な「こんな状況でも営業していて申し訳ありません」といった負のイメージの意味で、英語ネイティブの人にとっては、「なんでそんな悲惨な状況でも開店しているの」といったように受け止められるからだ。

一流ホテルでも、英語のレベルはこんな程度なのかなと、思っていたら案の定、先日そのホテルの前を通った際に見たら、その言葉が書き換えられていて、"Business as usual"とあった。

そう、それ、「いつも通り営業してますよ」

やっぱり、他の人も同様に違和感を感じていたのだろうか。

いわゆる、中国的な英語を、Chinglishというのだそう。
意味不明な、中国語用法的な英語をそういうらしい。

全く意味を成さない支離滅裂なChinglishもあるが、今やネイティブにも一般的に使われているという代表格は"Long time no see"だろう。「久しぶり」という意味で、英語の教科書にも登場しているほど一般的な慣用句だが、英語の文法的には全く意味を成さないので不思議に思っていたら、これは、中国語の「好久不见」から来ているとのこと。

色々な言葉があるのだなと思った次第。

2011年3月20日日曜日

日本加油!

毎日のように、北京でも東北地方太平洋沖大地震の報道が、新聞の一面記事レベルで続いており、隣国としての中国における関心の大きさが伺える。

先日は、北京、上海、広州といった大都市で、放射の汚染を防ぐために、塩を買い占めるという事態が発生。ネット上でのデマが一人歩きして、このような不可解な行動を引き起こしているそうで、メディアや専門家が冷静な対応を求めていた。

放射能汚染の被害が出ていない現在ですら、このような事態が起こる中国においては、特に日本人の民度の高さへの評価が高まりつつある。2008年の四川大地震においては、被害者がパニック状態に陥って二次災害を引き起こすというような事態があったようで、これと対比して日本の被害者の落ち着きと秩序を守り、他人を思いやり尊敬する態度に賞賛の声が上がっている。

特に今回、不幸にも被害に遭った中国人達が、中国メディアからインタビューされているが、避難所での日本人との共同生活において、日本人の優しさや民度の高さに触れる機会があるようで、日本への感謝の言葉をこぞって口にし、メディアも好意的にその内容を報道しているのは、両国の草の根レベルでの固い絆と、中国人の日本人に対する更なる親近感を醸成することは間違いないだろう。

起こってしまったことは、残念ながら取り返しが付かないが、それを今後の教訓として活かすことは出来る。復興に向けた支援はもちろんのこと、今回の災難から学び今後に活かすことが、犠牲や被害に遭われた方々に対する最大の敬意だと思う。

そして、被災地や原発等で命懸けで復興に向けて、自己犠牲の上に寸暇を惜しんで対応されている方々の想いも大事にしなければならない。

中国から、「日本加油!」と励ましの声が送られている。「給油する」という意味から「力を加える」⇒「頑張る」という意味で、スポーツ等の応援等で叫ばれる言葉だ。中国で急速な普及が進んでいるマイクロブログで、民間人が日本に向けて使うこの言葉が象徴的だ。これまでは、支援される立場にあった中国が、昨今の経済環境下と今回の大災難において日本を支援する立場となり形勢が逆転しつつあることも、象徴しているように思われる。

被災者、そして被災地における支援者の健康と、一日も早い日本の復興、今回の糧として日中友好が進むことを切に願っている。

2011年3月13日日曜日

Our thoughts are with you.

とんでもない地震が起きた。

今回の凄惨な地震の全貌が次第に明らかになるにつれて、唖然とするばかりで、北京で無力に過ごすしかない自分を情けなく感じています。

駐在員一同の家族の無事は確認したのですが、仙台に拠点を置いているお客様やグループ会社が、何らかの影響を受けている可能性があり、他人事ではない重大な事態です。
先日のニュージーランドの地震といい、先週の中国内陸の地震といい、プレートが何らかの連鎖反応を起こしているようなことと、津波が世界各地に到達している事実を見て、やはり地球は一つで繋がっているということを実感すると共に、アメリカや、ニュージーランド、そして中国のレスキュー隊が現地入りしているように地球レベルでの平和を考えないといけないと改めて感じています。

アメリカの友人達から、安否を心配するメールが送られてきて、皆口を揃えるように、"Our thoughts are with you"との記載があった。「我々の気持ちは、あなたと共にある」という直訳の意味からすると、「想っているから(頑張って)ね」という励ましの一言だと解釈しました。

また、社員や取引先の中国の方からも同様に心遣う有難い連絡を頂きました。
酷い事態ではありますが、これを糧に日本国内も全世界も力を合わせて平和の方向に向かって一体化していく方向に向かえばと願っています。

震災に遭われた方々にお悔やみ申し上げると共に、一刻も早い復旧を切に願います。

2011年2月19日土曜日

初雪@北京

先週、北京で初雪が降った。

このタイミングでの初雪は、なんと60年振りの記録的な遅さだという。

中国人は、この手の「記録的な」データが好きだ。
昨年も、50年ぶりの「記録的な」大雪と新聞が報じている。

昨年(確かに沢山降って、万年雪が氷と化して大変だった)
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=avci63S.x8l8

雪が降っていくつか気づいたことがある。

1. 静電気が劇的に減少

金属に触れる度、バチバチ音を立てるほど激しく発生していた静電気が沈静化した。大体40%弱位の湿度が降雪によって、10%程度上昇したことによって、摩擦が減ったためか。

2. 手際のいい北京市の雪処理

雪かきや、融雪剤の散布等が用意周到に行われ、深夜に降り始めて、積もった雪を早朝から処理し始めて、歩道等の安全を確保するなど、昨年に比較してその手際のよさに驚いた。

3. 雪融けの速さ

降って数日後には、消えかかって、気温はマイナス前後だが昨年のように万年雪になる気配がない。雪が降って気温があがったことは間違いないが、この融けるスピードは雪国生まれの当方からすると意外にも早いので、不思議に思っていた。

すると、同僚から、ロケット発射による人口雪というニュースを見たと告げられて、それが事実だと分かったときに後者2つの理由に合点がいった。もともと計画されていたので、北京市も準備していたし、人口的に降らせたので融雪も速いということなのだろう。

ジョギングをしながら中央電子台のニュースチャンネルを見るのだが、確かに先々週あたりから、干ばつの話題が取り沙汰され、今年の穀物収穫に深刻な影響が及ぶ可能性が指摘されていた。この対策としてロケットを打ち上げて人口雪を降らせたということだった。

湿度が上昇して、空気が肌にまとわりつく感じが若干するようになると共に、気温も上昇してきて、春節の終わりのタイミングで春の訪れを感じるようになってきた。

2011年2月11日金曜日

優しい日本

旧正月休みに駐在後、初めて休暇で1週間近く日本に帰国。

中国から戻って、以前海外から帰って来た時に度重なって感じたことを改めて感じた。

一言で言うと、「日本は優しい」。

まず、空気の柔らかさだ。

欧米や北京といった乾燥した大陸機構から成田や羽田に降りたつことが多いので、日本の湿気が体を柔らかく包み込んで、ちょっとした優しさを感じさせる。東京の冬も今年は特に稀に見るほど乾燥していたが、それでも北京のような肌のかゆさを引き起こすほどの乾燥はなかった。これだけで、まず肉体的に優しさを感じる。

勿論、梅雨や夏の季節の東京の蒸し暑さには、辟易してしまう。これらの季節に日本の空港に降り立った瞬間に感じる、「むわっ」とするあの空気がまとわり付くむさくるしさには、勘弁して欲しいという気持ちと共に、「ああ、祖国に帰ってきた」という複雑な感情が紛れ込む。

次に思うのが、水の優しさだ。

水資源に恵まれた日本の水は、雨を主体とした水が森林から水源地に豊富にもたらされるので、雨に近い柔らかさがあるのだろう。それが、水とワインの値段が変わらないほど、水資源が貴重な欧州等の大陸では、地下に蓄えられたのちに地上に沸きあげられた水なので、時間をかけて水が創り上げられるために、ミネラル分を豊富に含むが、それだけに硬さを感じてしまう。

飲んだ時だけではない。一番この軟らかさを感じるのは、シャワーを浴びる時だ。日本の柔らい水が体を這う際に感じる抱擁感は、他の国では味わったことの無いものだ。慣れ親しむと体にまとわり付くと感じるかもしれないが、実はこれが温泉でリラックスという文化が発達した背景にあるのではないかと思う。

海外に行く時には必ずリンスと普段より緩めの整髪料を持参するが、これは、経験則から大半の地域が、日本より乾燥していて、且つ硬水となる地域が多いからだ。日本では、丁度良い整髪料が、これらの地域では、日本の1.5倍ほどの整髪力を感じるほどの強烈さなのだ。そうなると、リンスも重要となる。髪質の異なる主に欧米人向けのシャンプーでリンスがないままに、髪の毛を洗って乾かすと、髪の毛がボウボウとなって大変なことになる。

日本の優しさは他にもある。

日本の女性の優しさは、世界中の男にとってはたまらないものだろう。ただ単に化粧や身なりを綺麗にに着飾るのみならず(それだけでも日本人女性は世界でもトップレベルだ)、男性を思いやる気持ちと献身的な態度を兼ね備えているのだから。男尊女卑ということではなくて、純粋に男としてどのような女性を伴侶にしたいかと思うと、日本人女性は、最高レベルに位置する基本素養を備え付けているのでは無いかと思う。これは、今回日本に戻ってきて、妻からも再認識した点だ。

でも、これらの要素が揃えば優しさを感じるかというと、そうではない。

やはり、日本の財力と技術に支えられた高水準のインフラ、安全とサービス精神があってこそだ。日本に行くと不要な緊張感が、解かれて落ち着けるのは、そういった環境もあるからだろう。

2011年2月1日火曜日

1月に聞く音楽

新年の初めに何を聞くか、これは結構大きな問題だ。

初ものずくしの正月に心機一転の心持でオーディオを立ち上げて奏でる曲には、こだわりたい。そう、正月らしく背筋を伸ばして新年の心も新たに、書き初めのような心境でピュアな音楽としっかりと対峙したくなる。

そんな時に聞く一枚がこれだ。


40分ほどのソロピアノメドレー曲集なのだが、のっけから、ペトルチアーニは、物凄い集中力と緊迫感で迫ってくる。冒頭の曲は、Herbie HancockのMaiden Voyageという渋い選曲で、演奏には緊張感ある息遣いが伝わってきて、年初に新たな船出をするという気分にさせてくれる。その後は、スタンダードとオリジナル曲へと次から次へと展開していって、最後は、Take the A Trainという誰もが知る楽しいDuke Elingtonの曲で盛り上がって終わるというドラマティックな展開は、正月番組で琴の演奏を聴いて背筋を伸ばした後に、酒宴が徐々に盛り上がって宴もたけなわに正月特有の大衆大道芸を見て盛り上がるという正月特有のお約束のようだ。

クライマックスは、オリジナル曲のRachid(恐らく息子に捧げた歌)の優しく切ないメロディーだろうか。冒頭では緊張感に溢れた張り詰めるような雰囲気で始まったと思いきや、徐々にウォームアップしていき、この曲で完全にペースを切り替えて、クライマックスを迎え、リラックスして抱擁力のある優しさに溢れる音をつむぎ出し、徐々に明るい部分が大半を占めるようになって、最後は電車のガタゴト音をお得意の16部音符で弾きまくって聴衆と一体となってノリノリの状態で終焉に向かっていくという、演奏だけではなく、聴衆の期待にしっかりと応えるという恐ろしいエンターテイナーぶりを見せる。

演奏も楽曲も展開も素晴らしいのだが、この曲は、集中力を要求される割に演奏時間が長いので、時間がある時でないと味わえないので、比較的時間のあるお正月向きと言えるのだ。

お正月に味わう新たな心持とお祭り騒ぎをじわじわと感じさせてくれる一枚。
これは、今は亡き数あるペトルチアーニのソロアルバムの中で最高のアルバムだ。

2011年1月22日土曜日

北京の救急車

先日、職場で仕事をしていると、オフィスの反対側から、うなり声が聞こえてくる。様子を見にいくと女性の従業員が腹を抱えて床に這いつくばって、もだえている。お腹が酷い痛みらしく、耐え切れずにもがいているのだ。

早速、近くの女性従業員に介護をしてもらいながら、救急車を呼んだ。

救急車の隊員が、担架を抱えて、10分ほどでオフィスに到着。

苦しみ、担架に乗ることを拒否する女性従業員を、なだめて何とか担架に乗せ、落下を防ぐためのベルトを締めたところで、その隊員が、僕に何かを言っている。

中国語なので意味不明でキョトンとしていると、担架を持ち上げるしぐさを見せた。つまり、「担架を持て」ということらしいのだ。

担架の反対側を見ると、確かに当社の男性従業員が構えている。

気合を入れて、担架を持ち上げ、エレベーターでロビーに下り、救急車まで搬送する。女性とはいえ、それなりに重みがあり、手がプルプル状態ではあったのだが、落とすわけにはいかないので高さの違う救急車への引き上げまで何とか踏ん張った。

そこからは、中国語の出来る同僚にバトンタッチして、救急車に同乗せずに見送り側に回った。女性従業員は、無事だったので、何よりだったが、同僚の話を聞くに、到着後に150元の利用料金を支払ったそう。そして、救急車の道中は、しっかりと信号は守るし、緊急という感じの運転ではなかったらしい。確かに、去っていくときにサイレンもなかった。

海外では救急車が有料という国は多々あるので、それは良いとしても、搬送もしないし、緊急的な輸送もないという救急車に、まだまだ改善の余地はありそうだ。

2011年1月9日日曜日

キレとコク、Stewart Copeland

The Policeが好きだ。

フロントマンのStingは作曲の才能はあるし、カッコいいし、ベースも上手い。ギターのAndy Summersだって、さり気無く素晴らしいギターを聞かせてくれる。だけれども、個人的には、この二人の影に埋もれがちなDrummer、Stewart Copelandが実はThe Policeの音楽的な根幹にあると思っている。

同じリズムをキープしていながら、微妙な強弱をつける事によって単調でシンプルなリズムを感じさせず、時には活き活きと、時には緊張感を生み出し、聴く耳を飽きさせないのだ。彼の特徴は、なんといっても、迫り来る追ってくるような緊迫感あるリズムとドラムの音圧から形成されるグルーブ感にあるといっていい。

それは、よく出来たコーヒーのようだ。

ハイハットとリムショットから来る「キレ」とバスドラムの音圧という「コク」の二つが絶妙なバランスで組み合わさってリズムを形成しているからだ。

レゲエリズムのロックへの導入ということばかり、注目されているようだが、それは一部が取りざたされているだけで、3人というバンド編成で音数的に制約がある中で生み出された彼のシンプルながら多彩な雰囲気を醸し出すドラミングスタイルは、その後のドラマーに多大な影響を与えたことは間違いない。

幾つかの曲を挙げてみる。

Can't Stand Losing You

出だしのバスドラムの迫り方、38~51秒目のリムショットの入れ方や1:45~1:59秒目までの緊張感の高まりをハイハットの微妙な開き方とクレッシェンドをつけることでドラマティカルな展開を弾き出している。

Roxanne

シンバルとハイハットの響きが素晴らしい。ギターは単調・淡白なカッティング、テーマの部分もRoxaneを繰り返すばかりの非常に単調な繰り返しながら、シンバルとハイハットを主体とした多彩なドラミングによって、メリハリと緊張感のある音楽を創り上げている。

There is a hole in my life

当方のお気に入りの曲。ギターのAndy Summersは、単調なカッティングを繰り返すだけなので、この曲もStewart Copelandのスパイスが効いてくる。フロアタムとバスドラという一風代わったコンビネーションに切れのいいハイハットとシンバルが乗っかってきて、絶妙なリズムを生み出す。彼が全身全霊で叩くような飛び散るようなシンバルの音も魅力で、この曲は彼のドラムスタイルの象徴といっていいくらいに凝縮されている。後半で繰り返し叫ばれるタイトルコールの裏で縦横無尽に叩きまくる彼のドラムは最高。この曲は録音もよく、オーディオ試聴のレファレンスとして使えるほどだ。ハイハットの音圧を感じてみたい。

Don't stand so close to me

有名曲だが、これもまた彼のドラミングの好例。もう一つの特徴は、「カッ」とスネアドラムの際を叩く、リムショットの効果的な活用だ。これが入ると、緊張感が増す。冒頭は、ハイハットとバスドラという「キレ」と「コク」を駆使してリズムの流れを作り、50秒目くらいから不規則にこのリムショットを乗せることによってメリハリと緊張感を生み出すことに成功している。2順目から音圧のあるバスドラの上に乗っかって来るハイハットと絡むリムショットによる迫り来るような緊張感はスリリングそのもの。

Driven To Tears

バスドラ&シンバルによる抑制の効いたリズムから始まり、リムショットを加えて緊張感を高め、2順目でハイハットを開き気味に抑制度合いを緩め、手数を増やすと共に徐々に開放感を高めて最後は全力で叩きまくって解放感を表現するというドラマティックな展開は、まさに彼の独壇場で、同様の展開が、先のDon's stand so close to meや、Message in a Bottleなんかにも見られる。

De Do Do Do De Da Da Da

これまた大ヒット曲だが、軽くて明るい出だしかと思いきや、28秒目から突如曲展開が変わり、シリアスな緊張感が襲う。これもハイハット、リムショットとバスドラムを巧妙に組み合わせて緊迫感を高揚させている彼の仕業なのであるが、ここでは、曲を通してバスドラムの微妙な強弱によって変わる音圧が鍵。3:27秒から最後まで40秒近く繰り返されるテーマが何故飽きないのか、が彼のドラムとThe Policeのバンドとしての凄さを解き明かす鍵だと思う。

Walking on the moon

これまたバスドラ、ハイハット&リムショットというお決まりの3点セットを絶妙な強弱や打ち所を変えながら変幻自在にノリを生み出す好演奏だ。

Murder by Number

The Police後期になると、彼のテクニックに磨きがかかっている。この曲では浮遊感漂うAndy Summersのギターも印象的だが、この後ろで小刻みに様々なテクニックを駆使して多様なアプローチでフロントを鼓舞するStewartのドラムが秀逸だ。The Policeの特徴として、テーマを繰り返しつつフェードアウトしていくというスタイルが多々見受けられるが、そのフェードアウトする時のドラムに耳を傾けると遊び後心満載のStewart Copelandのドラミングが垣間聴こえて面白い。この曲はその典型といえる。

彼と同年代のドラマーに、The Policeと同編成のCanadaのロックバンド、RushのNeil Peartがいる。Neil Peartは超絶的な変則リズムを機械の様に正確無比に叩く、知る人ぞ知る凄腕ドラマーなのだが、ノリの点で言うと、Stewart Copelandには及ばないと思う。

Rush及びNeil Peartも大好きなので、The Policeとの対比も交えて彼らについて書いてみたい。

2011年1月3日月曜日

RightとLeft

先日、映画を英語字幕つきで見ていたら、"He is left"という表現が出てきて、おやっと思った。おそらく、"He has left"を誤って記載したのかと考えるのだが、これをみて、ふと考えるものがあった。

"He is left"は、「彼は左だ」となるところに違和感を覚えたのだが、これが「彼は居ない」という意味だとするならば、その反対語の"He is right"はどういう意味なのだろうかと思ったのだ。

右は正しくて、左は不在というのは、右は正しいから認められて存在し、左は正しくないから去るというように思えないだろうか。確かに統計としても右利きが多いから、右手の方が強いし、権利を主張するときのしぐさとしての右手を振り上げるとか、いろいろあるのだろうと思って、語源辞典を調べてみた。

right (adj.2)
"opposite of left," early 12c., riht, from O.E. riht, which did not have this sense but meant "good, proper, fitting, straight" (see right (adj.1)). The notion is of the right hand as the "correct" hand. The usual O.E. word for this was swiþra, lit. "stronger." "The history of words for 'right' and 'left' shows that they were used primarily with reference to the hands" [Buck]. Cf. similar sense evolution in Du. recht, Ger. recht "right (not left)," from O.H.G. reht, which meant only "straight, just." The usual PIE root (*dek-) is represented by L. dexter (see dexterity). Other derivations on a similar pattern to English right are Fr. droit, from L. directus "straight;" Lith. labas, lit. "good;" and Slavic words (Boh. pravy, Pol. prawy, Rus. pravyj) from O.C.S. pravu, lit. "straight." The political sense of "conservative" is first recorded 1794 (adj.), 1825 (n.), a translation of Fr. Droit "the Right, Conservative Party" in the French National Assembly (1789; see left).

確かに、"The history of words for 'right' and 'left' shows that they were used primarily with reference to the hands"と両手を参照している。比較としてleftをみてみた。

left
c.1200, from Kentish form of O.E. lyft- "weak, foolish" (cf. lyft-adl "lameness, paralysis," E.Fris. luf, Du. dial. loof "weak, worthless"). It emerged 13c. as "opposite of right," a derived sense also found in M.Du., Low Ger. luchter, luft. Ger. link, Du. linker "left" are from O.H.G. slinc, M.Du. slink "left," related to O.E. slincan "crawl," Swed. linka "limp," slinka "dangle."

やはり、左手が一般的に利き手ではないので「弱い」とか「変則的」というマイナスイメージの言葉と結びついているようだ。

それでは、leftとleaveのつながりは一体どうなんだろうと思って、語源辞典を調べたものの、直接関連付けた説明は見当たらなかった。関連後を探ってみると、leftoverがあった。
ここにヒントがあるかもしれない。

leftover
"something left over," 1891, from left + over. As an adj., "remaining, not used up," from 1897.

leftが「残されたもの」という意味を持つことを示しているが、右手が主体だから、残されたものが左ということなのだろうか。Leaveが他動詞で「残す」という意味、自動詞で「去る」という正反対の意味を持っているが、これをleftが結び付けているのかもしれない。

ちなみに、英英辞典でleftを調べると、この説明が面白い。

on the side of your body which is towards the west when you are facing north

英英辞典、英語の語源辞典は中々面白いということが良く分かった。