2010年12月25日土曜日

クリスマスに聴く一枚

必ず、クリスマスシーズンに聴く一枚がある。

それは、Tuck AndressのHymns, Carols and Songs About Snowというクリスマスアルバムだ。

Tuck Andressは、知る人ぞ知る通好みの凄腕ジャズギタリスト。

フィンガースタイルで、メロディ、リズム、ベースとパーカションを一人で全てこなしてしまう、まさにワンマンバンドなのだが、決して一人で弾いているとは思えないアンサンブルがあって、彼が爪弾くオリジナリティ溢れる美しい音楽の訴求度は半端ではない。

ジャズの大歌手、Carmen Mcraeに"One and Only"と形容された、Joe Passという、今は亡き渋いテクニシャンのモダンジャズギタリストが、ソロギターでジャズスタンダードを弾きまくるというコンセプトの、Virtuosoという一連のアルバムが原点にあると思うのだが、これを数ランク進化させたTuckの演奏を聴くとこれが一人の仕業かと先ず耳を疑う。

ボーカルの奥さんとのデュオ、Tuck and Pattiで、歌伴をするのに必要な音を生み出すために様々なテクニックを身に付けていったという話で、過度にテクニック先にありきの音楽に走らないことに合点がいく。

彼の演奏を今は無き狭い昔のブルーノート東京で初めて観た衝撃は忘れられない。予め彼の演奏をCDで聴いていたのだが、一人で奏法していることが信じられず、実際に観に行った訳だが、確かに10本の指と2本の手でCDと同じレベルの音楽を奏でている。

目を瞑って聴く分には、調和の取れた美しい音楽なのだが、彼の忙しなく手を動かして弾く姿を観てしまうと、そちらの方に気が行ってしまって、音楽に集中できなくなってしまうほど。右手も左手も絶え間なくリズムとメロディーを奏で、パーカッシブに弦を叩いてハーモニクスを出すなんてテクニックが出てきた時には鳥肌が立った。

ベースラインにコードとメロディーをのせるようにして弾いているのだが、単に合わせ技ではなくて、掛け算的に音が飛び出すのだ。

その日以来、大ファンになった。

ちなみに、ソロギターのレパートリーも有名曲を多く取り上げており、Carlos SantanaのEurope、Michael JacksonのMan in the mirror、Wes MontgomeryのUp and from itなど、ソロギターという制約を感じることなく、普通に音楽として十分に楽しめる。ちなみに夫婦でのデュオ、Tuck and Pattiでは、The Beatlesや、果てはJimi Hendrixの曲までソウルフルに演奏する。

Tuckは2枚のソロギターアルバムを発表していて、どちらも素晴らしい作品なのだが、今日はクリスマスアルバムの方を紹介したい。

Hyms, Carols and Songs About Snow - Tuck Andress

Silent NightやAve Mariaのような厳かな雰囲気の曲から、クリスマスのうきうき感を感じさせるSanta Claus is Comin' to Townといったスタンダード曲で構成されていて、飽きることが無いので、この季節は何度も繰り返し聴いて、クリスマスの雰囲気を楽しんでいる。

Tuckのギターは、Youtubeに沢山映像があるので是非見て欲しい。
人間味に満ちた情に溢れるギターと、忙しなく手を動かす姿を観ることができる。

2010年12月22日水曜日

今年の総括

今年は、本当に目まぐるしい一年だった。
事業の立ち上げというのは、エキサイティングではあるが、同時に産みの苦しみも多かった。

1月 : 案件クローズ&公表
2月 : 妻の従姉妹の結婚式で初ハワイ
3月 : 香港法人設立、北京オフィス選定
4月 : 地方政府と会社設立に関わる調印式
5月 : 中国法人設立
6月 : 拠点を北京に移転、営業開始
7月 : 資本金払い込み
8月 : 仮オフィスに移転、システム稼動
9月 : 本オフィス開所&移転、居留ビザ取得
10月 : プレスカンファレンス&サービスイン、結婚10周年
11月 : 親友急病のため日本に一時帰国
12月 : ブログを書き始める

今年は、その他にも釣魚島問題で、日中関係が緊迫した状況に直面したり、NHKの報道番組で背中が映ったりと、貴重な経験をしたと思う。

悲しかったことは、Michael Jacksonが、この世を去ったこと。
一連のショートフィルムに感動して、Dangerous Tourを東京ドームに観にいって更に感動して、オーディオに凝り始めてから更にアルバムの深さに感動するという、トリプルパンチを食らって晩年の冷遇にもかかわらず愛聴していただけに彼の死は悔やまれる。

残念だったのは、ジャズコンサートに全く行けなかったこと。北京では本格的なジャズの生演奏に触れる機会は非常に少ない。とはいえ、SeattleのJazz Alleyで観たKenny Garrettと、中国生まれの秋吉敏子といった本格派が北京でコンサートを開催したのを知りながら、観に行くことができなかった。

嬉しかったことは、すばらしい上司と同僚に恵まれて異国の地で事業を無事に立ち上げられたことと、結婚10周年を迎えたこと。それから、ハワイ旅行は、この世にはあり得ない環境で素晴らしい結婚式に参加できて本当に印象深かった。

今年は、何年も躊躇してなかなか始められなかったブログを書き始めることができたので、来年は継続してこの習慣を定着させていきたい。

2010年12月19日日曜日

中国での報道規制と尖閣諸島/釣魚島について

先日、NHKワールドワイドを見ていると、突然画面が真っ暗に。

この状態が数分間続き、ニュースが途中から再放送された。

前日のウェブニュースから想像するに、以下2トピックが立て続けに流れたためと思われる。

1. 人権活動家Gmailアカウントへのハッキング行為に対する中国政府関与
2. 中国人権活動家のノーベル平和賞受賞

そして、どのような判断基準と手段で検閲をしているのか、NHKニュースに通常よりも注意を払うようになった。

翌朝早朝のニュースを見ると、冒頭の日本人ノーベル化学賞受賞ニュースのところで、フライング気味に真っ黒になったかと思うと、直ぐに回復。また、その後の中国人ノーベル平和賞のニュースではなんと、この件で全くメディアに取り上げられることのなかった受賞者の顔写真に続き、オスロで中国大使館に対する一般市民の抗議が行われているというニュースの冒頭まで流れ、また画面が真っ暗に。

このオペレーションを見て、一つ分かったのは、マニュアルでリアルタイムにコントロールしているということ。早朝のニュースということで、監視員の集中力が低下していたのか、普段流れることの無い情報まで垣間見ることができた。恐らく、当局のところにON/OFFボタンがあって、懸念のある情報が流れると、監視員判断でボタンを押すのだろう。

中国での報道については、完全に共産党の指導の下にコントロールされていることが、新聞の内容から読み取れる。

毎朝、中国語と英語の3つの新聞に目を通しているが、尖閣諸島(中国名:釣魚島)の問題の取り上げられ方を見ると、論調は若干異なるものの、露出度合いが毎日足並みを揃えているようだ。

57民族13億人を束ねるのは、容易ではなく、共産党はマスメディアに相当神経を尖らしているのだろう。

4億2千万人を超えるユーザーを擁するインターネットもまたしかりで、数千人から数万人とも言われるネット監視員が人海戦術で、ウェブ上のニュースや書き込みの情報をチェックしては、アクセス停止や削除等を繰り返しているという話だ。また、これらの情報をモニタリングすることで、世論の動向を掴み政治の舵取りをしているとも言われている。

インターネットで情報配信を行う企業は政府から通達されるNGワード(天安門事件、法輪功等)を徹底的に排除することが求められ、これを実施しないと、Googleのような憂き目に会うという構造がある。中国では、Facebookや、Twitterは規制の対象で中国内からは利用することが出来ない。ところが、そのコピーキャットとなる中国企業によるサービスは、利用が出来て、中国ネット利用者には浸透しているのだ。この差は、まさに政府の指導を受け入れるか否かにあるのだろう。中国においてネット上で情報配信をするには、サーバー等を中国内に設置して、政府の管理下に置くことが求められているのだ。

米国政府は、これについて言論の自由が無いと人権外交を推し進める一方で、中国政府は内政干渉との立場を貫いている。言論の自由を何処まで認めるのか、非常に難しい問題ではある。言論統制は、世界の多数の国で行われており、国境なき記者団が発表する世界報道自由ランキングを見る限り、世界中の多くの国で何らかの情報規制が行われていることがわかる。報道の自由が高い国は、先進国が多く、情報規制の厳しい国のキーワードは、共産圏や軍事政権等の一党独裁、王政、イスラム圏といえるだろう。

王政の敷かれたタイでは、日本の週刊誌等も手に入るのだが、仏教国ということもあり、露出の激しい写真等は、当局によって切り取られた形で販売されているし、恐らく王政批判をするような書籍は出版されることは無いのだろう。中国では、出版は厳しい規制に晒されており、日本の本は一般の書店で販売されておらず、個人輸入でもしない限り手に入れることは難しい。アラブ諸国のイスラム圏においても、宗教警察が一般市民の動きと情報をウォッチしており、イスラム教や王族に反する情報に規制をするような状況と想像する。以前アラブ諸国でインターネットをした際に、幾つかの日本のニュースサイトが見れなかったのだが(宗教色の濃さと規制の度合いは比例する関係にあるようだ)、先日サウジアラビアとアラブ首長国連邦でブラックベリーが使用禁止となり、最終的にメールサーバーを現地に設置して政府管理下に置く事で決着したストーリーを聞いても、かなりの規制が依然として存在していることが分かる。これらの国では、体制の不安要素を徹底的に取り除かれなければ、体制を維持できないという表れでもある。

日本は、どうなのだろうか。

先日、地図情報サービスから尖閣諸島の中国語名、「釣魚島」を削除するように外務省がグーグルに要請したというニュースを見た。グーグルマップ上での表記は、非常に興味深いので、また別途書きたいと思うが、こういう政治力学上の情報統制も行われていることを考えると、日本での言論統制もいかがなものかと思う。これをやるのであれば、政治家は、Googleのみならず、日本法人の全民間メディアに対して尖閣諸島で統一するように通達を出して言論統制していくべきだと思うが、これをやればやるほど、言論の自由を奪っていくという皮肉が生まれる。

その日本政府が申し入れを行ったGoogleだが、中国での地図情報サービスについては、継続の意向を示してライセンスの延長申請をしているものの、中国政府から否認されているという事実がある。つまりテリトリーは別としても、中国政府から否認されているサービスに対して日本政府が神経質になっているという、おかしな構造があるのだ。

こういう状況からすると、日本政府は、象徴的にグーグルを言論統制の形で主権を主張するよりも、中国から否認されているサービスなのだから、それほど神経質にならずに大きく構えて言論の自由を認める姿勢を取っても良さそうな気もする。

それにしても、政治問題にまで度々登場する、グーグルの存在感たるや恐るべきもの。インターネット産業に携わる者としては、心強くもあるが、政治との距離感については、注意を払わなければならないと思う次第。

2010年12月7日火曜日

今年のヒット作 (洋楽CD/DVD)

今年前半の東京在住の時は、毎週のように図書館に通い、本とCDを貸出制限一杯まで借りて、ありとあらゆるものを読んで聴いていた。そうなると借り方も聴き方も片っ端からという按配で、いい加減で大雑把になってしまって、あまり心に刺さるものも少なかった。その中でも幾つか耳を傾けさせる力を持つものがあった。

一つ目、The PoliceのCertifiable(DVD)。

キャッチーなメロディで、ノリの良い曲が多いことから、シアトル時代にドライブをする際に良く聴いていたのだが、今年初頭に2枚組みのベスト版を聴いて、その良さを再認識して、色々と聴くようになった。そして、改めて音質的に良い環境で聴くと、フロントマンのスティングだけでは創り出せない、バンドメンバーが複合的に絡み合って創出される良さがあるということが浮き彫りになった。

ボーカル&ベース、ギターとドラムという3人編成ながら、これだけ濃度の高い音楽を奏でるのは、それぞれの力量の高さの表れなのだが、その中で最も鍵を握っているのは、実はドラムのスチュワートコープランドなのでと確信するようになった。

この人、技術的にはそれほど難しいことはしていないかもしれない。
が、生み出すグルーブ感が半端でないのだ。

レゲエリズムのロックへの導入ということで、The Policeは形容されることが多く、事実そうなのかもしれないが、リズムという意味では、ハイハット、リムショットを随所に組み入れて、強弱をつける事によって、シンプルながら飽きることの無い、スパイスの効いたスリリングさを醸し出しているのは、間違いなく、この人。そんなことを再確認できるのが、再結成ツアーを収録したCertifiableだ。

ここで、楽しそうに活き活きとドラムを叩き、フロントの2人を鼓舞する姿を見て、彼の存在感の大きさを思い知った次第。往年のスタイルに比べると、切れのあるハイハットが聴けなくなったのは残念ではあるが、それを補って十分なグルーブ感を依然として保ち続けているし、スティングもアンディサマーズもいい意味で年をとって大人のロックを聴かせてくれる。

また、3人のThe world is running downのインプロビゼーションでスティングがブイブイとエレキベースを弾く姿も見ものではある。スチュワートコープランドについては、また別途書いてみたい。


二つ目、またしてもスティング&ドラム絡みになってしまうが、Chris Botti in Boston(CD/DVD)も良かった。

スティングを筆頭に、ヨーヨーマやらジョンメイヤー、そしてエアロスミスのスティーブンタイラーといった豪華キャストがChris BottiバンドとBoston Popsをバックに歌うというバラエティに富んだコンセプトもの。

はっきり言って、主役であるはずのChris BottiやBoston Popsは、ゲストを立てて敢えて裏方に回ったためか、演奏では目立つことなく、Boston Popsにいたっては、映像には表れるものの、見るのもかわいそうなほど音楽的な出番が無い。その大人数オーケストラよりも遥かに大きな存在感を示したのが、Chris Bottiバンドのドラマー、Billy Kilson。

随所にメリハリの利く、目を見張るタイトなドラムを聴かせ、歌伴でも抑揚と気の利いた演奏と幅広いスタイルへの柔軟性を見せ、もっと聴きたいと思っていると、DVDの最後に先のCertifiableにも収録されているThe world is running downの演奏が含まれていて、彼がフィーチャーされいるのだ。そこでの演奏たるや絶妙なテクニックに加えて阿修羅と仁王が一緒になったかのように、鬼気迫る勢いで手数多くドカドカと切れのある太鼓を叩き、口をあんぐりするほど唖然として見るしかない(後ろに映るボストン交響楽団の方々もそんな感じで観ているようだ)。いずれにしても彼の存在があるからこそ最初から最後まで飽きずにこのDVDを観させてくれるのは間違いない。

Billy Kilsonは、ドラマーに相当なこだわりを持つ大ベーシスト、Dave Hollandのバンドでも叩いていたようで、既に業界でも太鼓判を押されたプレイヤーの一人なのだろう。これからも注目したい。


三つ目、Where the Light Is: John Mayer Live in Los Angeles。

初期のメロディックな曲の一般的なヒットからアイドル的な人気を誇るJohn Mayerではあるが、実はギターが物凄く巧いのだ。最近は渋みのある、音楽敵にも凝ったつくりで、そのセンスがなかなかいけている。硬派なバンドメンバーを引き連れたトリオアルバムを発表していることで、注目をしていたのだが、このDVDを観ると

冒頭は、アコースティックギター一本の弾き語りで始まる。

イントロダクションのベースラインのビブラートを多用したアプローチやその後のコード進行は、超絶ジャズギタリストで「一人バンドマスター」のTuck Andressによる歌の伴奏時のそれを髣髴されるもので、かなり色々と研究しているんだろうな、と感じさせるし、それを歌いながら弾きこなしてしまうところに凄みがある。

その後に徐々に人数を増やし、ギターデュオ、ギタートリオ、エレキギターに切り替えてのベースとドラムを従えたトリオ、そしてフルバンドと徐々に盛り上がって締めくくるという形。

リラックスしたジーンズ&Tシャツ姿でのギタートリオでは、Tom PettyのFree Fallingの選曲がいいし、正装に切り替えたベース&ドラムトリオでのJimi Hendrix、Stevie Ray Vaughan的なボーカル&ギタースタイルもベテラン二人のスパイスの利いたアドリブもあり、見ていて飽きが来ない。ここは、Jimi HendrixのWait until tomorrowが聴き物。John Mayerはジミヘンのスタイルを踏襲しているのだが、ドラムやベース、ギターソロがジミヘンバージョンよりもモダンで面白い。何曲か演奏される巧みなブルースも同様に、泥臭いというよりは、モダンなアプローチ。

このギターとの一体感、自由自在さというのは、Jimi Hendrixや、Stevie Ray Vaughan、Eric Claptonのレベルに達しているのではないかと思わせるほど。そしてギターのリフからは、この3人の影響と、本当にギターとブルースが好きなんだという想いが伝わってくる。
個人的には、彼の渋みのあるオリジナル曲が好み。

音楽だけではなく、画像の質もChris Botti同様に高いし、インタビューを交えながらの進行という企画も良く出来ていると思う。


最後は、Tim RiesというSax Playerの、The Rolling Stones Project。
Rolling Stonesのツアーに同行したSax PlayerによるStonesのカバー曲集で、StonesのメンバーやNorah Jonesを筆頭とする豪華な協演陣によるもの。

Saxのスタイル自体は、どちらかと言えばフュージョン的で、好みのタイプではないのだが、楽曲のアレンジ、演奏の質の高さ、そして音質(SACD)が素晴らしい。大好きなBlian BladeやBill Frisellも、随所に登場して個性豊かな演奏を奏でるのではあるが、ここでの聴き所は、Stonesメンバーの渋み溢れる演奏。Honky Tonk Womenでの、Charlie Wattsのジャズのアプローチを取ったシンバルの響かせ方が心憎いドラム、Slipping AwayでのKeith RichardsとRonnie Woodの貫禄に満ちた絡み合うギターを聴いて改めてStonesのアルバムを聴きかえしたくなった。高解像度な録音が、Stonesメンバーの繊細な演奏を見事に捉えているという背景もあるのだろう。これには、第二段が出ているようなので、是非聴いてみたい。


今年期待していた、Jamie Cullumの新作The pursuitは、前作と同様の路線を踏襲したためか、作品の完成度は高いと思うが、期待値が高いだけに、真新しさにかけてしまい印象が今ひとつ、佳作といった評価。普通に楽しめる。


ちなみに、Chris Botti、John MayerとJamie Cullumを結びつけるものを一つ発見した。
夭折の天才と形容される、Jeff Buckleyを3人共に評価しているようなのだ。Chrisは先のDVDで、偶然にもデビューアルバムを二人が同じ時期に同じスタジオで製作していたというストーリーを話してトリビュート曲を演奏しているし(Leonard Cohen's Hallelujah)、Jamieは、Twentysomethingでカバー曲(Lover, you should have come over)を発表しているし、Johnもお気に入りの曲の一つに彼の曲(Last Goodbye)を取り上げている。今度は、Jeff Buckleyを聴いてみよう。


昨年春に来日して、Cotton Clubで久しぶりに満足の行くファンキー&エキサイティングな演奏を繰り広げたJacky TerrassonのConcord移籍第一弾、Pushについては未だ聴いていないので、これがどうかというのが今年最後の楽しみかも。

2010年12月5日日曜日

Next Year

ジャズが大好きでよく聞くけれど、トリオやカルテットといったスモールコンボものが好みで、ボーカル入りを聞くことは少ない。ところが、近年ボーカルものにもかかわらず、「無人島に持っていく10枚」に食い込むアルバムが浮上した。それは、Jamie Cullumという若い英国出身の男性が歌いピアノを弾くTwenty Somethingだ。

ブリジットジョーンズの日記の主題歌となった、Everlasting Loveがボーナスとして収録されている比較的有名なアルバムながら、この曲自体の軽いポップス的なノリが好きになれず(ある意味商業的)、これまで敬遠していた。

しかしながら、(最後に追加されたEverlasting Loveを含むボーナス曲を除き)、最後まで通して聴いてみると、どうだろう。若いにもかかわらず、落ち着いていて、ややしゃがれた独特の生々しい歌声が心に訴えかけ聞く耳を離さないのだ。演奏もハイレベルで録音も温かみのあるアナログ的な和みがあり、構成力や絶妙なアレンジが洒落っ気たっぷりで、何度聴いても飽きさせないのだ。エンタテイメント性溢れる演出と、しっとりと聴かせて心に訴える曲が見事に配置され、最初から最後までお腹一杯で大満足となること間違いなしの、今や愛聴盤の一枚となっている。

What a difference a day madeや、But For Nowといったスタンダード曲を、王道的な手法ながら自らの表現で正々堂々と歌うのは勿論のこと、Siging in the rainやOld Devil Moonを、全く異なるアプローチで聴かせて魅せる。

その他にも、Jimi Hendrix(Wind cries Mary)、Jeff Backly(Lover, You should have come back to me)のカバーをしているところが、新世代らしい(ボーナストラックでもライブバージョンでRadio HeadのHigh and Dryを演奏)。ジミヘン好きの当方にとってはたまらない選曲という「個人的なえこひいき」を差し引いても、彼の声と歌には見事な説得力とエンタテイメント性、そして聴衆を惹きつける力があると思う。妻と喧嘩しても、これを聴いたら二人とも音楽に気を取られ、二人ともハッピーになって仲直りしている、ということが何回かあった。

そして何よりも、彼のオリジナル曲が素晴らしい。一番お気に入りなのが、Next Year Babyという曲。ポップス系の音楽でさり気無く、Everlasting Loveに通じる部類で、普段ならあっさりと聞き過ごしてしまいがちなのだが、よく聴くとこの歌の詩がなんと素晴らしいこと。ざっくり訳すとこんな感じかと思う。

来年

来年こそは、
ビールの量を控えて
もう一回最初からやり直すんだ
本を沢山読んで
時事に詳しくなり
料理を身につけて
靴に散財しない

支払い期限を守って
郵便物を毎日処理して
絶品のワインだけ飲んで
毎週末は祖母に電話する

決心

それは儚く消え去ってしまうもの
僕は本当に行動に移すだろうか
多分答えはノーだろう
でも、一つだ実行に移すことがあるとするなら、
凄く勇気がいるけれど、僕がこんなことを考えていた間に
感じたことを君に伝えることだろう

というような意味の歌詞。
心の弱さを彼女に吐露することが、一つの愛情表現になっているということかと思う。

このアルバム、ジャズCDが少ない北京でも売っているんだけれど、先日、とある高級バーに行った時に偶然流れてきて、改めて名曲だと思った。そして、年末ということもあって、ふとこの曲について書きたくなった。

あっという間に年末ですね。

エヴァーラスティング・ラヴ~ジェイミー・カラム完全版
エヴァーラスティング・ラヴ~ジェイミー・カラム完全版

2010年12月4日土曜日

給力(北京生活、半年目を迎えて感じること)

仕事の都合で北京に居を移してから早半年が経過した。
この半年間、本当にめまぐるしかった。

「ハプニング天国」の中国においては、予期できないことが起きても、たじろがずに柔軟な対応で道を切り開く臨機応変さが重要ということがよく分かった。

そして、その臨機応変さを中国の方々はよくわきまえている。
環境に対する順応性といったら驚くほど。

問題が起きても、どこかに解決策があるだろうと臨機応変に文句を言ったり、抜け道を探し出したりすることで、何とかなってしまうものが多々あるのだ。

そんな状況に身を置くと「言ったもの勝ち」という習慣が身についてしまう。
これを他の国でも当たり前のように実践してしまう中国の方々が煙たがれるのもよく分かる。

いつも有難いと思うことは、漢字とお箸の文化を共有していること。

全く同じではないけれど、漢字からある程度の理解ができることが多々あり、日本人には一番親しみやすい言語だと思う。この土台に日本人はもっと自信を持って、中国ビジネスを進めていくべきだと常日頃思う。韓国は、漢字を捨てたにもかかわらず、これだけ中国ビジネスを進めているのだから。日本人の優位性は中国においては、もっとあるはずだと。

お箸については、共有しているものの、逆に小さな違いに驚かされた。

いつも食事で違和感を感じるのは、中国料理の小骨の処理。
肉にしても魚にしても、調理時も、口に入れる時も大半が骨抜きをしないのだ。
それに加えて、お箸の先が太い。

骨のある料理を先の太いお箸で食べる結果、何がおこるかというと、骨のあるまま口に入れて、肉をしゃぶるように食べて、骨を口から出すという行為。

これが慣れない。。。

しかも、人によっては、その骨を「ぺっ」と床に吐く。

うう~ん、これも醜い。。。

早く中国政府が、衛生運動を展開しないかと思う。
というのも、この国のお上の力は凄いのだ。

初めて北京に来た2002年のタクシー運転手といったらそれは、トラック野郎(失礼)のように、ぶっきらぼうで、唾は吐くは、乗車拒否はするは、本当に悪い印象を持っていた。それが、北京オリンピックを契機に態度改善の指導を政府が行った結果、一般的に大変愛想がよくなって、日本語で「ありがとう、さよなら」とまで言うドライバーにまで遭遇するようになった。

※依然として、窓の外に「ペッ」の習慣は残っている。
 運転手の後部座席に座る時は、窓を閉めるなどの警戒が必要

初北京に比べたら、人々は豊かになっていて余裕も少し出てきているように思われる。
北京には、億万長者が15万人住んでいるという統計があって、高級車を見かける機会も増えた。

アウディ、ベンツやBMWは当たり前で、ポルシェ、フェラーリ、ベントレー、マセラッティなんかも、頻繁に見かけるようになった。この国の物価(だいたい日本の3~5分の1)で、これら高級車を乗り回す人の金銭感覚は想像もつかない。ベントレー(一台50万ドル前後するらしい)にとっては、中国が一番の市場になっていて、今年は1000台を売る見通しだそう。

随分と北京も様変わりしたなと思う次第。

僕の中国語レベルは変わらないんだけれど。。。

そんな中国語の題名、給力(geili)は最近の流行語で、「すごい!」って意味。
会社の中国人従業員が教えてくれた。

少しでも彼らとコミュニケーションを取れるように中国語の習得に励みたい。